天下分け目の決戦場ツーリング(関ケ原古戦場)

関ケ原古戦場 旅・ツーリング
関ケ原古戦場

もうすっかり忘れかけていますが、ほんの少し前まで非常に暑い日が続いていました。そんな長かった夏の間に、実は関西や東海あたりを電車やバイクで色々と巡っていました。

そのうちの一つに、あの天下分け目の大決戦が行われた、関ケ原の古戦場にも訪れていました。

過去に、関ケ原古戦場付近を、徳川家か石田家の家紋が入ったのぼり旗を横目にバイクで走り過ぎた事はあるものの、実際に立ち寄って各戦場のスポットを巡った事はありませんでした。

私は歴史モノ、特に戦国時代に関する事が大好きなので、いつかじっくりと訪れてみたいと思っていたという事もあり、暑さにめげず、思い切って関ケ原古戦場を巡ってみる事にしました。

今回はその時の様子を書いてみようと思います。

移動~現地到着

一口に関ケ原古戦場と言っても、見所が一か所に集約されている訳ではなく、付近一帯に関ケ原の合戦にゆかりのあるスポットや施設が多く点在しています。

コアな歴史ファンであれば全て巡りたくなるかもしれませんが、そこまでではないという方が大半だと思いますので、観光ガイドなどを参考に、興味のある場所に絞って訪れた方が良いと思います。

今回の私はどこかにバイクを停め、そこを拠点に徒歩でいけるスポットをいくつか巡る事にしました。

バイクで自宅を出発し、まずはこの日の拠点と決めた、「岐阜関ケ原古戦場記念館」という観光施設を目指す事にします。

滋賀県から関ケ原古戦場に向かう道中の風景

岐阜関ケ原古戦場記念館の建物が見える所まで来ると、手前に駐車場(南駐車場)が見えてきました。ただ、この南駐車場は二輪の駐車はできないので、バイクで訪れる場合は注意が必要です。

二輪用の駐車場は、もう少し先に進んだ所にあります。

岐阜関ケ原古戦場記念館付近

南駐車場を通り過ぎて更に進み、古戦場記念館の建物脇まで来ると、左手に二輪駐車場(駐輪場)の入口があるので、そこから入ります。

ちなみに、更に先に進むと、北駐車場がありますが、そちらも二輪は駐車禁止なので注意してください。

岐阜関ケ原古戦場記念館 駐輪場(二輪駐車場)

岐阜関ケ原古戦場記念館

駐車場にバイクを停め、古戦場記念館前の広場まで行ってみます。改めて眺めてみると綺麗な建物です。今回訪れた中では一番大きな施設で、更に駐車場の収容台数も多いので、私の様にここを拠点とする人が多そうです。

岐阜関ケ原古戦場記念館

古戦場記念館の入口まで来ました。

岐阜関ケ原古戦場記念館

入場料は大人500円、大学生・高校生は300円、中学生以下は無料と比較的良心的な価格です。(2023年8月時点)

といっても、建物全体が有料エリアという訳ではなく、お土産売り場やフードコートなど、無料で誰でも入る事のできるエリアもあります。

この日は週末だったのですが、有料エリアへの入場を待つ長蛇の列が出来ており、これを見てすっかり並ぶ気力が失せてしまいました。

仕方なく無料エリアをしばらくウロウロした後、早々に建物を出てしまいました。

岐阜関ケ原古戦場記念館
住所〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
電話番号0584-47-6070
営業時間開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
定休日 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12/29~1/3
アクセス(公共交通機関)JR関ケ原駅から徒歩約10分

アクセス(自家用車)
名神高速道路 関ケ原ICから車で約5分
※駐車場あり(無料 南駐車場70台、北駐車場30台、駐輪場)
公式ホームページhttps://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/
公式SNSアカウント(X)https://twitter.com/gifusekimemo/
(Youtube)https://www.youtube.com/channel/UCkvEWEkxZ5jRii9sk0aFD5g
岐阜関ケ原古戦場記念館(2023年8月時点)

徳川家康最後陣地

岐阜関ケ原古戦場記念館を出ると、それに隣接するように広がる芝生の広場(陣場野公園)がありました。

近くにあった案内板を見てみると、ここは「徳川家康最後陣地」と書いてあり、どうやらここに徳川家康が合戦中最後に構えた陣があった様です。

広場の向こうを見てみると、のぼり旗が立っている一画が見えるので近くまで行ってみます。

徳川家康最後陣地

のぼり旗の立つ場所まで来ました。

徳川家康最後陣地

背の高い石柱に大きく刻まれた文字を見ると、ここが徳川家康最後陣地である事がわかります。

この陣からの指示で、寝返りを迷う敵の小早川秀秋の陣に発砲を行い、見事寝返えらせる事に成功した様です。それが決め手となり、そのまま家康率いる東軍が一気に優勢になり、合戦を勝利に導いたとの事です。

そう思うと、何て事のないこの広場の片隅が、日本の行く末を決めた重要な場所に見えて来て、しばらく感慨に耽ってしまいました。

徳川家康最後陣地

奥の方に垣根に囲まれたエリアがあり、中央の土塁に「床几場 徳川家康進旗験馘處」という文字が刻まれた石柱が立っていました。

近くの案内板を見ると、ここは「床几場」(しょうぎば)という場所だそうで、合戦後に打ち取った敵武将の首実検(首の身元判定)が行われた場所との事です。

何とも恐ろしい絵を想像してしまいますが、味方武将達の論功行賞を判定するための重要な作業だった様です。

ちなみに、のぼり旗には家康が掲げた「厭離穢土欣求浄土」という言葉が書かれていました。

これは、「戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦い、国土が穢れている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を願い求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す」という意味らしいです。

家康と三成は結果的に関ケ原で一戦交える結果となりましたが、戦乱の世を終わらせようとする志は同じだったのかもしれません。

徳川家康最後陣地 床几場

決戦地

徳川家康最後陣地を離れ、今度は関ケ原で最も激しい戦いが繰り広げられたと言われる「決戦地」まで徒歩で向かいます。

決戦地の方を指し示す案内板が町の中にあるので、それに沿って進んで行きます。しばらく進むと、すっかり建物が無くなり、のどかな田園風景が広がる場所に出ました。

決戦地へ移動途中の風景

さらに進んで行くと、田んぼが広がる中にポツンとのぼり旗と石柱が立つ一画がありました。

のぼり旗と石柱が無ければ全くわかりませんが、実はここが関ケ原の決戦地なのだそうです。

関ケ原古戦場 決戦地

のどかな風景が広がるこの場所で、かつて武将達が激戦を繰り広げていたとは、にわかに信じられませんでしたが、景色をずっと眺めていると、だんだんと両軍の激闘シーンが見えて来るような気持ちになりました。

そのうち、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句が頭に浮かんできました。この句が詠まれた場所は関ケ原ではなく、東北の平泉と言われていますが、ここで詠んでも何ら違和感を感じない句だと思いました。

関ケ原古戦場 決戦地

関ケ原笹尾山交流館

決戦地から少し歩いたところに、関ケ原笹尾山交流館という観光施設があるので、今度はそちらの方に向かって歩いてみる事にします。

この施設は、廃校になった小学校の校舎を改装したものらしく、確かに外見は何となく懐かしさの残る小学校の校舎そのものでした。

COFFEEと書かれた看板まであり、中にはカフェもある様です。

関ケ原 笹尾山交流館付近

交流館の前には広場があり、そこには馬防柵とのぼり旗が立っており、戦場の雰囲気を醸し出しています。この交流館は甲冑のレンタルもやっている様なので、ここは撮影場所に良さそうです。

建物の脇には、あまり広くありませんが駐車場もあります。

関ケ原 笹尾山交流館・駐車場

笹尾山交流館の入口まで来ました。入場は無料の様です。

では早速入ってみます。

関ケ原 笹尾山交流館

中に入ってみると、どことなく旧小学校の雰囲気をそのまま残したような懐かしい場所でした。

レンタル用の甲冑が並べられていたり、社会科の授業で使われそうな地図が掲示されていたりと、あたかも学校で歴史を学んでいる様な感覚にしてくれます。

関ケ原 笹尾山交流館

かつて教室前の廊下だったであろう場所に来ると、ますます学生の頃の記憶が蘇ってきます。

本来なら、職員室や音楽室とか、教室のクラス名(1年A組とか、3年B組など)が書かれているはずの表示プレートに、何やら見慣れない「軍議部屋」という表記を見つけました。

関ケ原 笹尾山交流館

その「軍議部屋」を覗いてみると、錚々たるメンバーの甲冑が並べられていました。

入って左から、黒田長政、大谷吉継、福島正則、石田三成、島津義弘の順で甲冑が鎮座しています。

三成を中心に配置しているので一見すると西軍の軍議を模しているのかと思ったのですが、黒田と福島の様に東軍側として関ヶ原に参戦した武将が居たり、三成のバックに徳川家の葵の紋があったりするので、特に設定無く展示しているだけかもしれません。

関ケ原 笹尾山交流館

軍議部屋を出て、他の部屋を覗いてみると、関ケ原CoffeeStandというカフェがありました。先ほど外にCOFFEEの看板がありましたが、ここの看板だった様です。

このカフェは、たぶん元々理科室だったと思われる部屋にあり、班ごとに理科実験ができそうな机と椅子があり、そこに座ってゆっくり本を読みながらカフェラテなどを楽しんでいるお客がいました。

ここのカフェラテは、武将の家紋を描いたラテアートが人気らしく、お店の前の看板でも家紋ラテを推していました。

関ケ原 笹尾山交流館 関ケ原CoffeeStand
住所〒503-1523 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原1167-1
電話番号0584-43-1600
営業時間10:00~16:00
定休日 火曜日、年末年始(12/29~1/3)
※12月~3月中旬まで土日祝のみ営業
アクセス(公共交通機関)JR関ケ原駅から徒歩約20分

アクセス(自家用車)
名神高速道路 関ケ原ICから車で約5分
※駐車場あり (無料)
公式ホームページ関ケ原観光ガイド
https://www.sekigahara1600.com/
上記サイト内の関ケ原笹尾山交流館紹介ページ
https://www.sekigahara1600.com/spot/sasaoyamakoryukan.html
公式SNSアカウント関ケ原笹尾山交流館
(X)https://twitter.com/sasaoyama0915
関ケ原CoffeeStand
(Facebook)https://www.facebook.com/sekigaharacoffeestand/
(Instagram)https://www.instagram.com/sekigaharacoffeestand/
関ケ原笹尾山交流館(2023年8月時点)

笹尾山 石田三成陣跡

笹尾山交流記念館で懐かしい旧校舎の雰囲気と、当時の関ケ原を感じさせる展示物を楽しんだ後、ここから近い所にある、 石田三成が陣を構えた場所「笹尾山 石田三成陣跡」まで歩いてみます。

石田三成陣跡入口の前には駐車場がありました。未舗装ですが、結構広いので収納台数もそこそこありそうです。

笹尾山 石田三成陣跡 駐車場

石田三成の陣跡の入口が見えるので、そちらに向かってみます。

笹尾山 石田三成陣跡

入口の両サイドには馬坊柵が備え付けられており、守りのしっかりした陣に見えます。

中に入り、ひたすら階段を登って行くと、石田三成の陣跡があった場所までたどり着きました。

笹尾山 石田三成陣跡

そこには、合戦の行方を見渡せそうな展望台が設置されています。

笹尾山 石田三成陣跡

展望台に登ってみると、関ケ原の盆地一帯が見渡せ、思った通り見晴らしの良い場所でした。

笹尾山 石田三成陣跡

案内板には、先ほど訪れた決戦地など、ここから見渡せる様々なスポットの説明が書かれており、これと見比べながら景色を見つつ、当時の事に思いを馳せていると、ついつい時間を忘れてしまいます。

笹尾山 石田三成陣跡 案内板

中でも一番じっくり見ていたのは、この案内板に描かれている陣形図で、右上の小早川秀秋(兵15,000人)が途中で寝返ったため、石田三成率いる西軍(青色)が劣勢に立たされている事が良くわかります。

慶弔5年(西暦1600年)9月15日 午前8時頃 陣形図

それを踏まえて改めてここからの景色を眺めてみると、三成は相当苦々しい思いでこの場所から戦況を見つめていただろうと思います。さぞや無念だったのではないでしょうか。

笹尾山 石田三成陣跡からの眺め

展望台を降りて奥の方に行ってみると、石田三成陣跡と刻まれた石柱が立っており、ちょっとした東屋もありました。

この日は相当暑い日で、少し歩き疲れていた所なので、東屋でちょっと一休みする事にしました。

笹尾山 石田三成陣跡

東首塚

石田三成陣跡でちょっと休憩した後、一旦先ほど訪れた岐阜関ケ原古戦場記念館の方に戻り、今度はそこからJR関ケ原駅に向かって歩いてみる事にしました。

歩いている間に気づいたのですが、関ケ原の町中にある電柱に歴史案内看板が設置されており、これがなかなか読むと為になります。

特に、関ケ原に参戦した武将の一人を紹介する武将物語シリーズは、見掛けたら必ず読んでいました。

関ケ原駅へ移動途中の風景・電柱の歴史案内看板(武将物語 井伊直政)

関ケ原駅に向かう途中、「東首塚」という何やら物騒な名前のスポットがありました。

先ほど訪れた徳川家康最後陣地にあった床几場で、討ち取った武将の首実検が行われた後、家康の命により東西2箇所に埋葬されたそうです。そのうちの1か所がここ東首塚との事です。

ここに関ケ原で戦死した数々の猛者たちが眠っていると思うと、手を合わせずにはいられませんでした。

東首塚

関ケ原駅前観光交流館

東首塚から少し歩くと、JR関ケ原駅が見えてきました。この辺りに来ると、電車で訪れた観光客がちらほらと見受けられます。

ちょっと意外だったのが、若い女性の観光客が結構訪れている事です。

実は、メディアでも度々話題になる歴女(歴史好きの女性)という方たちが本当に実在するのか疑っていたのですが、実際に関ケ原古戦場のパンフレット片手に歩く歴女と思しき方々を見かけると、すっかり疑いが晴れてゆくのを感じました。

私の様な歴史好きの方が色々な層に広がっているのはうれしい限りです。

関ケ原駅付近

関ケ原駅のすぐ前にも、関ケ原駅前観光交流館という観光施設がありました。電車で訪れる方は、まずここに立ち寄って、スタッフの方やパンフレットなどから関ヶ原観光の情報を仕入れるのが良いと思います。

ちなみに、私が個人的に一番気になった情報は、入口に置いてある立て看板に掲載されていた、この施設の売り上げトップ3のお土産達で、何とこの週のトップは「どん兵衛大セット」というものでした。

数ある戦国モノのグッズ達を抑え、なぜカップ麺のどん兵衛がお土産の売上1位なのか、気になってしょうがなかったので、中のお土産売り場で現物を確かめてみる事にしました。

そして判明したのが、ご当地限定のどん兵衛とか何かプレミア感あふれるものでは一切なく、普通に全国で売られているどん兵衛の東日本版と西日本版がセットになった品でした。

どうやら、関ケ原の東軍と西軍の対決になぞらえて、どん兵衛の東と西の味を食べ比べてみるという趣向らしいです。

どん兵衛の様に、同じ銘柄でも東西で味のバリエーションを変えている商品は、通常自分達の地域で売られている方しか買えないので、両方同時に食べ比べる機会を提供するこのお土産のアイディアは、なかなかうまいと思いました。同様に、赤いきつねでもいけますね。

関ケ原駅前観光交流館・関ケ原駅

そんな駅前観光交流感でいくつかお土産を買い、再びバイクを停めた岐阜関ケ原古戦場記念館まで戻った所で、今回の関ケ原古戦場巡りの旅はこれにて終了となりました。

歩き疲れてこの時かなり空腹だったため、実はこの後なかなか渋めの食堂を見つけて食事をしています。その様子については、「トラック運転手御用達 関ケ原の食堂(天下茶屋)」という記事に書いていますので、よろしかったら読んでみてください。

住所〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原598-4
電話番号0584-43-1100
営業時間9:00~17:00(3月~11月)
9:00~16:30(12月~2月)
定休日 火曜日(祝祭日の場合は翌平日)、12/29~1/3
アクセス(公共交通機関)JR関ケ原駅を出てすぐ

アクセス(自家用車)
名神高速道路 関ケ原ICから車で約4分
※駐車場あり(無料 7台)
公式ホームページ関ケ原観光ガイド
https://www.sekigahara1600.com/
上記ガイド内の関ケ原駅前観光交流館紹介ページ
https://www.sekigahara1600.com/spot/izasekigahara.html
公式SNSアカウント(X)https://twitter.com/20151004_ekime
関ケ原駅前観光交流館(愛称:いざ!関ケ原)(2023年8月時点)

まとめ

今回は、以前からじっくり訪れてみたかった関ケ原古戦場を巡ってきました。

一見、のどかな風景が広がるこの地ですが、かつての合戦に思いを馳せながら各地を巡ってみると、見え方が変わり、当時の武将たちの姿や思いを感じる事ができる気がします。

各スポットに設置された案内板の説明やエピソードを読むと、より一層楽しむ事ができ、勉強にもなります。歴史に興味のある方、特に戦国ファンの方であれば、是非一度訪れてほしいと思いました。

そういえば、現在放映中のNHK大河ドラマ「どうする家康」も、そろそろ関ケ原の合戦に突入する回が近づいていると思いますので、それを観てから訪れると、より一層楽しめるのではないかと思います。

また、この関ケ原古戦場は、以前このブログで「滋賀県最高峰に登る絶景ツーリング(伊吹山ドライブウェイ)」という記事で書いた伊吹山にも近いので、バイクや車で訪れる場合は、そちらと合わせて訪れてみるのもお勧めです。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
↑よろしかったらバナーをクリックして応援をおねがいします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました