天下人の城 安土城跡の石垣と石段に臨む夏

安土城址 旅・ツーリング
安土城址

私の住む滋賀県は、古都京都に近く、東西を結ぶ交通の要所でもあるため、意外と歴史の表舞台に出てくる事が多く、度々大河ドラマの舞台になったりもします。

特に戦国時代が舞台のドラマの場合は、織田信長、豊臣秀吉、浅井長政、明智光秀などと縁のある地なので、何等かの場面で近江国滋賀の地が絡んでくる事が多い気がします。

この様に歴史的なスポットが多い滋賀県ですが、何といっても私が一番興味を引かれるのは、織田信長が天下統一の拠点として琵琶湖近くに築いた安土城です。
残念ながら築城から10年も経たずに焼失する事になってしまいましたが、現在も安土城跡として石垣などが残っています。

個人的にとても関心のある安土城跡ですが、実はまだ訪れた事がありませんでした。比較的近場なので、いつでも行けるからという理由で、行かず仕舞いになっていました。

そんな中、最近放映されている大河ドラマに触発されたためか、ちょうどお城巡り熱が高まっていた所なので、これを機にバイクで訪れてみる事にしました。

安土城跡到着・駐車場

朝バイクで自宅を出発し、安土城跡付近まで到着したのは午前9時ぐらいでした。周辺の田んぼはそろそろ稲穂が実る時期で、一部の区画は黄金色に色付き始めています。

京都方面から安土城跡に向かって滋賀県道2号を走ってゆくと、左手に入口が見えて来るので、そこを左折して入ります。

安土城跡 入口

すると、左手に多目的広場入口と書かれた看板が見えるので、そこから広い駐車場に入ります。

バイクの場合は入って奥の道路側に近い所に「バイク置場」と書かれた一画があるので、そこに停めます。駐車場は全体的に舗装されておらず、砂利も多いので、バイクは転倒に注意しながら走る必要があります。

ここには自転車置き場もあり、ロードバイクを引っ掛けられるバイクラックがあったりと、自転車乗りにも配慮がなされています。

安土城跡 駐車場

城なび館

バイクを停めて駐車場を出ると、何やら建物が見えるので近くまで行っみると、城なび館と書かれています。

どうやら安土城跡のガイダンス施設の様で、ガイド情報の提供や関連グッズの販売などがされています。

今回は利用しなかったのですが、有料でVRを使って復元した安土城を観る事もできるらしく、ここでかつての安土城の姿を予習してから、実際の安土城跡に行くという流れも結構良さそうです。

城なび館

入山受付

安土城跡に入場するための受付がある場所に向かって歩いてゆくと、その途中にきれいな芝生の広場が見えてきます。それを囲む様にして石垣が存在する風景を見ていると、城跡に来たという実感が湧いてきます。

受付に到着すると、入山料700円(2023年8月時点)を支払い、いよいよ安土城跡の散策開始です。

安土城跡前の広場・入場受付

受付でもらったパンフレットによれば、一通り見て回ると45~90分程掛かる様です。

長すぎず短すぎずといった時間ですが、この日は猛暑だったので、これぐらいの時間を歩くとグッタリしそうな予感がします。

安土城跡パンフレットの案内図

大手道

受付を通り過ぎて中に入ると、いきなりずっと上の方まで続く大手道の石段の洗礼を受けます。

敵兵の立場だったら、攻める気持ちがちょっと萎えそうなレベルです。

大手道石段

がんばって石段を登ってゆくと、途中に織田信長家臣団の屋敷跡があります。

まず大手道の一番手前の右手に前田利家の屋敷跡、左手に羽柴秀吉の屋敷跡の下段郭が見えます。

伝前田利家邸跡(上段)・伝羽柴秀吉邸跡 下段郭(下段)

そこから少し大手道の石段を登った所の左手に、先ほどの羽柴秀吉の屋敷跡の下段郭と繋がる上段郭があります。

秀吉の屋敷跡の案内板に当時の屋敷の全景がイラストで描かれていましたが、このクラスの家臣になると、なかなか立派なお屋敷が与えられていた様です。

伝羽柴秀吉邸跡 上段郭

その更に上の方に登ってゆくと、摠見寺(そうけんじ)仮本堂への入口が見えます。この日は仮本堂の外装が工事中でしたが、特別拝観期間中だったため、有料で中に入る事もできた様です。

ただ、個人的に特に興味を引かれるものが無さそうだったので、今回は中に入らず前を通り過ぎるだけにしました。

ちなみに、この場所は元々、徳川家康の屋敷のあった場所との事です。後に戦国三英傑と言われる、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がこの安土城に屋敷を構えていたというのは何とも感慨深いです。

摠見寺仮本堂(伝徳川家康邸跡)

信長家臣団の屋敷跡のエリアを通り過ぎ、ひたすら石段を登って行きます。

ここまで来ると少し余裕が出てきたのか、石段が続く景色を美しくて情緒あるものに感じる様になってきました。

大手道石段

石段が一旦終わる平らな場所に来ると、天守跡と本丸跡の方を案内する石柱がありました。

ようやく城の中心部に近づいてきた様です。

大手道~天守・本丸エリア手前までの道

再び石段の続く道を進んでゆくと、立派な石垣に囲まれた場所にたどり着きます。

大手道~天守・本丸エリア手前までの道・石段

黒金門跡〜本丸跡

ここは黒金門という門の跡で、残された石垣がかつて門があった事を物語っています。

元々お城は好きな方ですが、改めて石垣の魅力に目覚めた様な感覚がしたので、奥深い城マニアの世界にまた一歩足を踏み入れてしまった様です。

黒金門跡

更に石段と石垣の景色が続き、途中に仏足石という石が見えました。

お釈迦さまの足跡が表現された絵が石に刻まれていますが、安土城築城の際、何と各地の石仏も建築用の石材として使われたそうで、こういった石が他にもある様です。

石仏を建築資材にするなどバチ当たりな気がしますが、信長が自身の権威を示すためにあえてその様な事をしたという説もあります。

仏足石付近

天守跡の方を指し示す案内板が見えてきました。いよいよ頂上の天守跡が近い様です。

本丸跡付近

見事な石垣と深緑の木々が織りなす景色の中をどんどん進んで行くと、本丸跡が見えてきました。

ここにはかつて本丸御殿が建っていたそうで、その柱の礎石が今も残っています。この御殿には天皇を招き入れるための間があったとされていますが、結局天皇が行幸でここを訪れる事はなかった様です。

本丸跡

天守跡

本丸跡から石段を登って行くと、ついに天守(安土城跡では天主と表記)跡に到着しました。

本格的な天守を持つ城は、この安土城が初と言われており、現在日本の城として思い浮かぶスタイルの原型にもなっている様です。

そう思うと、改めて信長や安土城の先進性に敬服してしまいます。

天守跡

天守跡を囲む石垣に登ってみると、後から通る予定の信長の墓が下方に見え、木々の隙間からは琵琶湖の方を望む景色が見渡せます。

天守跡付近

所々木々に遮られてしまうため、あまり良好な視界ではありませんが、琵琶湖の方によく目を凝らすと、眼下に広がる田園地帯の向こうに、琵琶湖を望む事ができます。

天守跡付近からの眺め(琵琶湖方向)
天守跡付近からの眺め(琵琶湖方向)

織田信長公本廟

信長になった気持ちでしばらく天守跡からの眺めを堪能した後、少し下って先ほど見えていた信長の墓(織田信長公本廟)の近くまで来ました。中には入れませんが、柵の外から中を覗く事ができます。

このお墓は信長亡き後、秀吉によって建立されたものですが、結局本能寺の変の後に信長の遺体は見つからず、ここには遺品が埋葬された様です。

織田信長公本廟

織田信雄四代供養塔

さらに下って行き、先ほど通った黒金門跡の所まで来ると、まだ通ってなかった箇所がある事に気づき、そちらの方に歩いて行ってみると、織田信長の次男、織田信雄の家系四代の供養塔がありました。

織田家は信長の死後、秀吉に事実上乗っ取られますが、信雄の家系だけは明治維新まで大名として残った様です。

織田信雄四代供養塔

供養塔を出て、しばらく来た道を戻り、案内板に「帰路」と示された方に進みます。

ここからずっと下りかと思っていたら、しばらく進むと上りの石段が現れます。

三重塔周辺エリアの道

摠見寺跡・三重塔

石段を登りきると、向こうに三重塔が見えてきました。

更に進むと、右側に摠見寺跡がありました。先ほど大手道沿いに摠見寺の仮本堂がありましたが、元々はこの場所にこのお寺があった様です。

すぐ近くに、眺めの良さそうな休憩スペースがあり、椅子とテーブルのセットが設置されていました。

摠見寺跡

景色の見える方に目を凝らしてみると、琵琶湖より手前にある西の湖が見え、なかなか良い眺めです。

摠見寺跡付近からの眺め(西の湖方向)

すぐ近くにある三重塔は室町時代の建物で、国の重要文化財に指定されているとの事です。

元々現在の滋賀県湖南市にある長寿寺にあったものを信長が移建したものだそうです。

三重塔~二王門(楼門)までの石段

二王門

三重塔から石段を下って行くと、二王門(楼門)にたどり着きます。

門の両側には金剛力士像があり、門と力士像はともに国の重要文化財に指定されているそうです。

この門も先ほどの三重塔も煌びやかさは無いですが、質実剛健な美しさを感じます。

二王門(楼門)

仁王門を通り過ぎてさらに石段を下って行くと、やがて石段は消え、木々に囲まれる普通の山道になってきました。

木々の隙間から、周辺の田んぼが見える所まで来ると、戻ってきたという実感が湧いてきます。

二王門(楼門)~帰路

出口・休憩所

帰路の道をどんどん進んで行くと、先ほど訪れた秀吉の屋敷跡(下段郭)の前に出ました。後はここから下って出口に行くのみです。

今回は1時間ちょっとかかりましたが、ここにたどり着いた時には、暑さで汗びっしょりになり、体もヘトヘトになっていました。

帰路(伝羽柴秀吉邸跡 下段郭に至る)

受付の所まで戻ってきました。帰りは来た時とは反対側の脇を通って外に出ます。

出てすぐの所に休憩所があったので、すかさずベンチにグッタリと座りこんでしまいました。

ここにはポットが備え付けられており、てっきり冷たいお茶でも入っているものと思っていたのですが、実際に注いでみると湯気と共に熱々のお茶が出てきたため、ちょっとびっくりしました。ただ、注いでしまったお茶を捨てる訳にはいかないので、汗を流しながら熱々のお茶を何とか飲み干しました。

気を取り直して、体をクールダウンするために何か冷たいものでも買う事にしました。売店で売られているかき氷にしようかちょっと悩みましたが、いち早く喉を潤して水分補給をしたかったので、結局自動販売機でスポーツドリンクを購入しました。

スポーツドリンクはよく冷えており、喉を通るたびに生き返る様な心地がします。飲み始めると止まらず、結局ペットボトル1本を一気に飲み干してしまいました。

そのままベンチに座ってしばらく休憩を取り、少し体力が回復した所で、駐車場まで戻ります。

出口・休憩所

駐車場に戻り、バイクのエンジンを掛けた時点でまだ午前11時前でしたが、先ほど沢山歩いたためか、結構空腹感を覚えていたので、この付近でランチをしてから帰宅する事にしました。

(ランチの様子は「近江八幡の渋い食堂で天ぷら中華そばときつね丼(初雪食堂)」という記事に書きましたので、よかったら読んでみてください)

帰宅までの風景(近江八幡市付近)

まとめ

今回は、織田信長が天下統一の拠点として築いた安土城跡を訪れました。

天守などの建築物は無く、城郭の石垣や石段などしか残っていませんが、それだけでも安土城の偉大さを感じる事ができます。

城跡でこれほどの魅力を感じた城は初めてです。城好きの方、特に石垣好きの方には是非ともおすすめしたいスポットの1つです。

現地では結構歩いたり登ったりする事になるので、そこそこ体力を使いますが、一通り見終える頃には安土城の魅力に引き込まれ、かつての姿やそこに居を構えていた信長と家臣団に思いを巡らせる事になると思います。

これを機に、これからもお城巡りや戦国時代の史跡巡りをしてゆきたいと思います。

住所〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
電話番号0748-46-6594
営業時間8:30~17:00(入場受付最終16:00)
年中無休
※季節により変動あり
摠見寺特別拝観は8:30~15:00(実施日のみ)
最寄り駅JR安土駅(徒歩約20分)
(自転車で約10分 安土駅前にレンタル自転車店あり)
最寄りIC名神高速道路 八日市IC(車で約25分)
※駐車場あり(無料)
公式ホームページhttps://www.azuchi-nobunaga.com/
公式SNSアカウント(Facebook)https://www.facebook.com/azuchi.nobunaga/
(Instagram)https://www.instagram.com/azuchi.nobunaga/
安土城跡・摠見寺(2023年8月時点)
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
↑よろしかったらバナーをクリックして応援をおねがいします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました